べんやみんみんみん
最近ベンヤミンをずっと読んでますが、この人はやはり魅力的ですな。
Illuminations: Essays and Reflections
- 作者: Walter Benjamin
- 出版社/メーカー: Schocken
- 発売日: 1969/01/13
- メディア: ペーパーバック
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この間は、翻訳論である"The Task of the Translator(翻訳者の使命)"を読みました。合わせて、授業で配布された補足テクストとして、この論考に対するポール・ド=マンによる考察と、あと自分で前々から興味がありながら積ん読状態だった、酒井直樹による翻訳論も読んでみました。三人とも共通して、誰に向けて書いているのかということに極めて意識的であるように思われ、そしてそれは一つの言語に閉じられた共同体に向けられているのではなく、むしろ言葉が届かないかもしれない相手としての、すべての人に開かれているように感じました。
ベンヤミンのテクストは、一回サラっと読むとお手軽に知識が得られるというようなものではなくて、言い換えると、その中のデータや情報に価値があるわけではないと思います。そうではなくて、時間をかけてゆっくり言葉を噛み砕いていき、彼が何を言わんとしているかに接近しようとしていくと、自分の言葉への感度が磨かれて、あるときふっと新しい問いが立つような、そういうものだと思います。
安っぽい言い方をすると、研究をやっていこうと思ったら、沢山本を読んでソフト面を充実させていくということはもちろん必要だし重要なのだけれど、どこかでハード自体をバージョンアップさせることも不可欠でしょう。ベンヤミンのテクストは、真剣に読めば真剣に読んだだけ視界が広がり読みが深まるような、そういう奥行きを持っていると思います。彼のファンは多いけれど、多くの人は、ふとベンヤミンがすぐ身近にいるような気になる、そういう瞬間を求めて読むのではないかしらなどと感じました。
アマゾンでのお買い物から
日本に住んでいていいところの一つは、特に東京なら、アマゾンで注文したものが翌日にすぐ届くということですね。土日でも来るし。かたや、こちらのamazon.comで買い物をすると、学生特典でプライムに加入していても、届くのに二日かかります。しかも土日は配送なしなので、さっき木曜日に注文を入れようと思ったら、届くのは月曜日とのことでした。うーむ、日本のアマゾンの使い勝手の良さに慣れているとちょっと物足りない。
でも、日本の配送サービスは、土日でも運送業者にモノを運ばせたり、担当の人間を多く仕事につかせているから成立するのだと思うので、そっちが働き過ぎな気もします。その結果、自分が無理やり働かされている分、消費者になったときに傲慢になったりするというような負のスパイラルもあると思うし。アメリカで見かける明らかにやる気のないレジ係や、無能な事務の人たちくらいが、実はストレスなく仕事ができていいバランスなのかもしれない。ちゃんちゃん。
I dream a dream in English
海外に来て外国語が板についたかどうかの物差しとしてしばしば引き合いにだされるのが、「その国の言語で夢を見る(できれば寝言も外国語)」です。
自慢じゃないですが僕はひと月程度ですでに英語の寝言を経験しましたよ。
夢の中で、誰だか覚えてないけど友達(ひょっとしたら浅い付き合いの同僚とかかもしれない)とせまい路地裏を逃げ回っていると、いつのまにか、四方を高い壁で囲まれた場所に追い込まれています。壁の高さは5メートルくらいかな。ひょっとしたらそこに隠れていたつもりだったのかもしれない。広さは30×20メートルくらいでしょうか、結構広い。ふと気付くと、壁の上から太いホースがかかっていて、そこからすごい勢いで水が流れてきます。なんか10秒くらいで水位が腰くらいまで来て(ありえない)、壁をよじ登ろうとして必死に助かろうとして僕は叫びました。
H E E E E E L P!!!!!
で、そこでガバッと目が覚めると。
というわけで、英語への適応度はもうばっちりです。矢でも鉄砲でも持ってきてください。
ああ、今週も恐怖の水曜日が終わってよかった。明日はステーキにしようかしら。
街舟来る。
ついに待望の船便がオルバニーに届きました。一カ月あまりをかけて太平洋を超え、メキシコ湾を超えてやってきたと思うとなんだかとても愛おしいような気がします。食器が割れてたら悲しいなあとか精密機器類は無事かなあとか若干心配していましたが、欠損もなく、送りだした時のまま全くのきれいな状態で届いてくれました。ようこそ。
出発前に皆様からもらった品なども含まれていて、荷ほどきするときは本当に暖かく穏やかな気持ちになりました。
わかりやすくうれしいのは、BOSEのPCスピーカーが来てくれたおかげで、今までの内蔵スピーカーの100倍くらいいい音で音楽が聴けるようになったことです。近隣住民がみんなデカイ音で聴いているので、こちらも気兼ねなく大きい音で部屋で鳴らせるのも気分良し。
今週末までにある程度荷物を整理して、新生活も本番になったところで新たにがんばります。
out of reach
今日の晩御飯は麻婆豆腐でした。近くのアジアンマーケットで買ってきた豆板醤がピリッと辛くて最高に美味しいのであります。しかしそろそろ夜も更け腹も減ってきたので、辛ラーメンに手を伸ばしたい衝動にも駆られているのであります。
どうでもいいけど、「手を伸ばす」、"reach"という言葉が嫌いではない。「手の届く範囲」という意味もあって、そこからoutreach, out of reachのような使い方も生じています。リーチが歌詞に出てくる曲といえばやはり、Bon Joviの"These Days"でしょう。サビで"These days, the stars seem out of reach"(このごろ、星に手が届かない気がする)と歌っています。
あとこれも名曲ですよね。
The Get Up Kids - Out Of Reach
このアルバムもアホほど聴いたなあ~。
というわけで辛ラーメンに手を伸ばそうと思います。"out or reach"なペヤングになんてもう興味ないんだからねっ!プンスカ。
北東のつながり
この週末は、The Northeast Linkというアメリカ北東部の財団コミュニティが、奨学生向けにオリエンテーションをやってくれたので、一泊二日でマサチューセッツ州のBoxborough(「バクスボオゥー」と発音します)に行ってきました。
今年クラブは大きな制度変革を迎えるので、ひとまず今までと同じタイトルで留学に来れる人は僕の代で最後になるのだそうです。それもあって、「そもそも本財団とは何でしょうか」というような問いがスピーチの中に盛り込まれていたり、また、多くの奨学生が受給期間終了後に連絡もくれず関わりを絶ってしまうという実情を聞いたりもしたので、各人の視点から奨学金の意義を考えたり、自分の研究の位置付けに思いを巡らしたりする機会になったのではないかと思います。他方で、「どうして制度を終えることにしたのですか」という質問が奨学生の側から出たのももっともで、来年度以降留学を考えている人たちにとっては貴重な機会が失われてしまうことにもなります。来年度以降は各地域の権限で資金の使途を決められるようにするということなので、ぜひ多くの地域に奨学生制度を何らかの形で続けていただきたい、そして、そうする価値があると判断してもらえるよう、きちんと自分の役割を果たしたいと思いました。
また、別の話ですが、自分がやっている歴史系の文学研究のメリットとして、今回のように全然専門が違う人が集まった時に、何をやっているかの説明がある程度伝わりやすいという印象を新たにしました。例えば「だれだれの何何という小説と、同時代のフニフニという社会状況の関係性を考察してます」、という方が、「テクストと死の関係性について検証しています」というのに比べて抜群にわかってもらいやすいというのはある。ただし他方で、わかりやすいけれども同時にパッケージ化されてしまっている方法論については、それを問い直していく作業もやはり重要だと思います。結局できることは、シンプルな問いを積み重ねていっぱい本読むしかしかないんだろうという気はしますが。
あと、英語のリスニングが本当にできないので、マジでどうにかしたいです。人の話が聞き取れないと、単純にとてももったいない。