マクドナルド殺人事件

今日は朝からすったもんだで時間を取られてしまったので、晩御飯を作るのをサボってマクドナルドへ行ってみました。

 

・・・が、早くも近所の若い衆のたまり場になってしまっているようで、お店の中はかなりカオティックな様相を呈しておりました。十代くらいの若者たちに、超凝視されてましたし。店員さん・お客さんともにほぼ全員黒人の中で、アジア系が珍しかったのかしら。

ちょっとこの写真だとわかりにくいけど、空席にゴミが散在しケチャップが飛び散って、殺人現場みたいになってました。面白かったので記念に。

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メニューはクォーターパウンダーとフィレオフィッシュを頼みましたが、特に日本と味・ボリュームとも変わらず。サイズの大きさに腰を抜かすみたいな衝撃を期待していたので、ちょっとガッカリ。これなら近所のサブウェイとかバーガーキングの方がイケてるなあと思いました。違うメニューでリベンジすればいいのかしら。むむむ。

白ヤギさんと黒ヤギさんのトークショー

風邪を引いて本が頭に入らないので、金曜日は薬を飲んでしっかり休んでしまいました。しかしながら、おかげで朝型に戻れて、今現在土曜日の朝9時半です。体調も良くなったので、今日こそはがんばります。

 

鼻をグズグズさせながらも、、昨日はクッツェーとオースターのトークがあるというので大学に行ってきました。

http://www.albany.edu/writers-inst/webpages4/programpages/vws.html

二部構成で、一部はメルヴィルの「バートルビー」についての討論会、二部は今度出版される書籍の朗読会でした。僕は二部だけ参加してきました。

 

オースターの提案で、2008年頃から二人は文通を始めていたそうです。そのやり取りの模様が、Here and Nowというタイトルで2013年の3月に書籍化される予定であり、今日のイベントはその中から、二人が自分たちの書いたいくつかの手紙を読み上げるという形でした。

 

ニューヨーク三部作で知られるユダヤ系アメリカ人オースターと、南アフリカで生まれ育ちアメリカで博士号をとったクッツェーが、固有名詞と記号の関係のような文学・言語学的話題から、パレスチナ・イスラエルの政治問題、本のデジタル化といった今日的トピックまで、広範なテーマについて言葉を交わし合います。言ってしまえば今度出る本の宣伝という性格も強かったので、詳しくは来年の3月に買って読んでちょんまげ、ということなのでしょうか。

 

どうでもいいところで面白かったのは、相当頻繁に手紙をやり取りしているんだなあということでした。「10月11日、親愛なるポールへ」とクッツェーが手紙を読み始めると、オースターの次の手紙が「10月14日、親愛なるジョンへ」だったりして、もうほとんど白ヤギさん黒ヤギさんも顔負けの筆まめっぷりでした。たぶん二人とも、学研のおばちゃんかペンフレンドからの手紙か、くらいに首を長くして「まだかなまだかなー」と待ちわびていたのではないでしょうか。ステージの上にいるのは現代作家のまぎれもないビッグネーム二人だけれど、そう考えるとグッと親近感が湧いたし、また、手紙という媒体の面白さを教えられた気もしました。

facebookから、ぼやき。

facebookで、子供の写真を挙げたり家族ニコニコ写真を挙げたりする人は、自分の友人にも一定数いる。まあ別に当人の勝手だからどうでもいいといえばいいんだが、それになんとなく違和感を感じる。これは、決して「リア充め…」みたいな嫌悪感ではない。(というか、「リア充」であることに反感を感じるのは、たまたま自分が「充実してない側」にいる(と思っている)から対象を問題視しているだけであって、自分が同じことができる立場になれば平然と同じことをするだろうし、そもそも「リア充」⇔「非リア」という認識の枠組み自体を問題にしていないから何の批判にもなっていないただのヒガミでしかないと思う。)

 

ではこの違和感みたいなものは何なのか。ぼんやり二つ考えてみた。

1)子供を「所有」している感

facebookで勝手にタグ付けをされてイラッとしたことのある人もいるのではないかと思う。一般公開にはなっていないグループ内で、そのグループの写真を挙げるのとかはまだOKなのだけれど、全員公開のタイムラインでタグ付けされるとちょっぴり違和感がある。本来は一声かけるべきなのではないかしら。

そして、子供の写真を挙げるのにどこか引っかかるのは、子供を一人の個人としてよりも、ペットとかと同列に扱っている気がするからかもしれない。もちろん赤ちゃんはしゃべれないから、「ソーシャルネットワーキングサイトであるところのfacebookにあなたが映っている写真を掲載しようと思うが、肖像権の観点から見て問題はないか」なんて聞くことはできない。だが、自分たちで写真をとって内々に楽しむのならまだしも、多くの人がアクセスできてしまう場に写真を挙げるのを見ると、子供がどこか所有される「モノ」化しているような気がしないでもない。

 

2)出来合いのストーリーに乗っかっている感

「幸せ核家族計画」が至上の価値に掲げられていて、その外部があんまりにもないような印象を受け、それでいいのかという気がする。いや、これはただの偏見かもしれないが。

 

オルバニーの今日の最低気温はとうとうマイナス1℃だそうです。

シェー。

リスニングがやばい。

しかし、英語ができないのである。特にリスニングがからっきしなのである。今日のように小説についてディスカッションする授業において、その問題は特に顕著となるのである。早口の院生が二人続けて意見の交換をするともうアウトである。あとから別の人が「さきほど彼も指摘したように」とか口にしても、そんな事実はございませんよ、夢でもご覧になったのではありませんか、と言ゐたくなる次第なのである。更には、議論の流れを聞き取れないゆえに同じ論点を蒸し返し「それさっきゆったし」的な空気になるのを危ぶみ、発言するにしても明らかにまだ誰も触れていない個所に言及することになり、それがひいてはややトリッキーな指摘という性格を帯びていくのもこれまた必定。先人たちは最初の半年が終わったころには聞き取れるようになっているから安心したまえよ君、などといふけれども、このままのペースでいくとそれも危し。ううむ。こっちに持ってきたリスニングのCDなぞ引っ張りだそうかしらむ。

明るい我が家

メインで使っているリビングの照明が暗過ぎて、常に昭和感を醸し出しながら勉強していたんですが、今日は意を決して電球を2つ付け替えてみました。

 

おお、明るい、明るいではないか!

 

三階建て民家の三階を使っている我が家は屋根裏部屋感がぬぐい去りがたくあり、でもその奥まった隠れ家的な感じが自分には好ましくもあるのですが、良くも悪くも少しこれで普通のアパートに近付いた気がしました。

Autumn in Albany

2~3日前に近所を散歩しましたが、すっかり通りは秋の風情です。

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さらに、近所にマックがオープンしたのですが、これがかなり微妙な店舗。

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ドナルドおじさんが怖すぎて気軽に入れない。でも今度勇気を出して入ってみようと思います。勇者キハリン。

 

初ライブ見物

今日は、先輩に誘ってもらって、日本人院生9人でぞろぞろとライブを観に行ってきました。Robert Glasper Experimentというアーティストです。場所はEGGというオルバニーのプラザで、普段はパフォーミングアートの上演なんかもやっているようでした。来年3月にはアイルランド音楽の有名どころのAltanなんかも来る予定みたいです。

 


Robert Glasper Experiment- Twice/ Smells Like Teen Spirit - Live at New Morning,Paris 2011

 

ドラムの人がすごい手数でかっこよかったです。よほど速さに自信があるのか、16ビートのハットを基本右手一本で叩いているのが頭悪くて素敵でした。一曲目はRadioheadのAmnesiacの一曲目のカバーから入って、アンコール前のラストはNirvanaのSmells Like Teen's Spiritのカバーで終わりました。

チケットも$24(2000円弱)で、日本のクソ高いチケット代に比べてとても良心的だと思いました。だいたい、ブルーノートでも、NYと東京とではチケット代が倍くらい違うし、いったいどうなっているんでしょうね。

ふだんは学校と家とPrice Chopper(スーパーの名前)の三角形の外になかなか出ないので、みんなで外出できて、楽しい日曜日の夕べでした。