facebookから、ぼやき。

facebookで、子供の写真を挙げたり家族ニコニコ写真を挙げたりする人は、自分の友人にも一定数いる。まあ別に当人の勝手だからどうでもいいといえばいいんだが、それになんとなく違和感を感じる。これは、決して「リア充め…」みたいな嫌悪感ではない。(というか、「リア充」であることに反感を感じるのは、たまたま自分が「充実してない側」にいる(と思っている)から対象を問題視しているだけであって、自分が同じことができる立場になれば平然と同じことをするだろうし、そもそも「リア充」⇔「非リア」という認識の枠組み自体を問題にしていないから何の批判にもなっていないただのヒガミでしかないと思う。)

 

ではこの違和感みたいなものは何なのか。ぼんやり二つ考えてみた。

1)子供を「所有」している感

facebookで勝手にタグ付けをされてイラッとしたことのある人もいるのではないかと思う。一般公開にはなっていないグループ内で、そのグループの写真を挙げるのとかはまだOKなのだけれど、全員公開のタイムラインでタグ付けされるとちょっぴり違和感がある。本来は一声かけるべきなのではないかしら。

そして、子供の写真を挙げるのにどこか引っかかるのは、子供を一人の個人としてよりも、ペットとかと同列に扱っている気がするからかもしれない。もちろん赤ちゃんはしゃべれないから、「ソーシャルネットワーキングサイトであるところのfacebookにあなたが映っている写真を掲載しようと思うが、肖像権の観点から見て問題はないか」なんて聞くことはできない。だが、自分たちで写真をとって内々に楽しむのならまだしも、多くの人がアクセスできてしまう場に写真を挙げるのを見ると、子供がどこか所有される「モノ」化しているような気がしないでもない。

 

2)出来合いのストーリーに乗っかっている感

「幸せ核家族計画」が至上の価値に掲げられていて、その外部があんまりにもないような印象を受け、それでいいのかという気がする。いや、これはただの偏見かもしれないが。

 

オルバニーの今日の最低気温はとうとうマイナス1℃だそうです。

シェー。