スピーチ原稿と祖父

昨日は半日かけて、奨学金のスポンサー財団向けのスピーチ原稿を書いていました。

 

スピーチの話の枕として、名前の由来でも説明しておこうと思って、小ネタを書いてみました。私健次は次男坊なのですが、この名前には文字通り「健」康な「次」男に育ってほしいという願望が込められています。実は、もともと僕の二人兄弟の兄が、生まれたときにやせ細った病弱な子で、両親や親戚にしばしば心配をかけていたのだそうです。そこで母方のおじいちゃんが、僕を身ごもっている母に、「丸々太った元気な子を産んだらお小遣いあげる」といったそうです。そうして僕は今の名前をつけられました。出生時僕は首尾よく3800グラム(これをいちいち「8.4ポンド」とか調べなきゃいけないから原稿書きに時間がかかるんだよね・・・)のぽっちゃりしたからだで生まれてきて、おじいちゃんは大喜び、母はうまくお小遣いを獲得したのだそうです。しかしながら、その後数カ月間で僕はどんどん痩せて行き、兄以上に病弱な赤ん坊になってしまいました。おじいちゃんはなんだかだまされたように感じ、「詐欺に合ったような気がする」と言いました。これが僕の名前の由来です。

 

というような話を書いていたら、いやがおうでも考えてしまったのは、先の7月に他界したそのおじいちゃんのことでした。古本屋めぐりをするのが趣味だったおじいちゃんは、近所の古本屋さんを回っては沢山の本を買ってきたものだったけれど、そのほとんどはなぜか英語の教材でした。年に何度か僕が遊びに行くと、決まって「いくらだって持っていっていいんだで」って言ってくれて、僕が何冊かピックアップすると、「それしか持っていかねえんかい」といつもの決まり文句を少し残念そうな顔でつぶやいたものでした。語学、特に英語の勉強に興味をもっていたおじいちゃんは、ひょっとしたら親戚のうちで僕が大学院に進学したことにポジティブな価値を(少なくとも部分的には)見出していてくれた唯一の人だったかもしれません。とはいえ基本的には商売でずっと生計を立ててきて、生涯で英語を実際に使う機会はおそらくほとんどなかったであろうおじいちゃんにとって、そしてもちろん戦争も経験しているおじいちゃんにとって、アメリカとか英語ってなんだったんだろう。

 

せめて留学を開始するのがあと一年早ければ、いろいろ報告したり、話したりできることがあったかもしれない。それをおじいちゃんは喜んで聞いてくれたかもしれない。そう思うと、自分は実に無能だということがしみじみと実感される。だから、自分の無能を克服できるように、後悔しなくて済むように、一日を一日として勉強しよう。明日があるなんて思わずに。