2012 年と私

2012年もいよいよ年末ですね。

みなさんはどんな一年を過ごされたでしょうか。

 

 

個人的には、とてもチャレンジな一年間になりました。1月に某学会関東支部大会で発表、2月にイギリス資料収集(観光じゃないんだからねっ、たぶん)、3月に所属校開催のシンポジウムで研究発表(ゲストの先生のお迎えもやりました)、4月に投稿論文応募(査読通過)、5月と6月にそれぞれ学会発表一つずつ、それにコツコツvisa取得などの留学準備も進めながら、夏学期は休みがちとはいえ四つのゼミに参加させていただきました。そして8月15日に日本を発ち、同じ日にアメリカに着き、留学を開始しました。初めて授業で発言した時には、先生がビシッと小生を指して"Oh, KIHARINー!"(実際はもちろん本名ですよ)みたいな感じで、「立った、クララが立ったよ!」的な扱いではありながらも、なんとか楽しみながら授業に参加してます。同時に、奨学金をいただいている方々向けに、数年ぶりにパワポを作っちゃったりして、何度か英語でのプレゼンもやりました。そうした学業の合間にも、もうひとつの出発の関連で、みなさまにお力を借りつつずっとあわただしく動きました。もちろん、もっと頑張ることができた可能性は常にあるし、ベストを尽くしたなどとはとても言えないのですが、少なくとも、一年を振り返って怠慢だったと後悔に打ちひしがれるような年末にはならずに済んだ気がします(そんな年末過ごす人あんまり見たことないけど)。多くの方々の優しさに支えられて、貴重な経験を積み重ねることができた一年になりました。

 

 

だけど、個人的にはそれなりにやることをやったつもりでいても、この一年間で世の中がいい方向に向かっているとは思われません。この一カ月だけを見ても、12月の選挙結果は、事前にある程度覚悟していたとはいえやはりショックでした。戦争ができるように改憲、原発再稼働、最低賃金切り下げ、TPP加入で経済競争強化、いま支持を受けているこのへんの政策はみな一握りのラッキーな人と、そうでない多数の人たちの境遇を分断して固定化してしまうだろうに。たまたまラッキーな側に入れる可能性がごくごく低くても、とにかく今の希望のない状態には耐えられないという人は、自分は「勝ち組」になるという妄想ゆえか、一か八かのギャンブルに託してか、「変える」という方向性のわからない方針を支持する。いまよりずっと悪い方向に「変わる」かもしれなくても。そしていろいろな不満は、「愛国心」という、「売国奴でないひと」の言い換えにすぎない排外的なヴェールの下に回収されていく。また、アメリカに目を向けてみても、選挙の前日には現在の住まいから100キロほどの場所で銃の悲劇も起きました。にもかかわらず、NRAは頑なに銃を手放そうとはしていません。協会のお偉いさんいわく、「銃を持った悪人を倒せるのは、銃を持った善人だけ」だそうな。

 

 

色々なことがあまりに未消化なままに、正当に省みられることのないままに、抗いがたい力が不可避的に時間を押し動かしていく。これはまさしくヴァルター・ベンヤミンが「歴史哲学テーゼ」の第9節で書いたことでした。パウル・クレーの絵画(http://en.wikipedia.org/wiki/Angelus_Novus)を参照しつつ、ベンヤミンは、自決する1940年、第二次世界大戦の中でこんなアレゴリーを記しました。原文はドイツ語だけど自分にはわからないので、英語と拙訳を付します。

 

Illuminations: Essays and Reflections

Illuminations: Essays and Reflections

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A Klee painting named "Angelus Novus" shows an angel looking as though he is about to move away from something he is fixedly contemplating. His eyes are staring, his mouth is open, his wings are spread. This is how one pictures the angle of history. His face is turned toward the past. Where we perceive a chain of events, he sees one single catastrophe which keeps piling wreckage upon wreckage and hurls it in front of his feet. The angel would like to stay, awaken the dead, and make whole what has been smashed. But a storm is blowing from Paradise; it has got caught in his wings with such violence that the angel can no longer close them. This storm irresistibly proples him into the future to which his back is turned, while the pile of debris before him grows skyward. This storm is what we call progress. (257-8)

[日本語訳(拙訳)]

「新しい天使」と名のついたクレーの絵は一人の天使を描いており、彼は、自分がきつく凝視しているものからいままさに離れようとしているかのように見える。彼の眼は見開き、口は開き、翼は広げられている。歴史の天使とはこのようなものだ。彼の顔は過去の方へと向けられている。われわれが出来事の連鎖を知覚する一方で、彼はたった一つの破滅を見る。その破滅は、残骸の上に残骸を山積みにしていき、それを彼の足下に放りつける。天使は、そこに留まり、死者を目覚めさせ、砕かれてしまったものを一体にしたがっている。だが、楽園から暴風が吹いてくる。暴風があまりに暴力的に彼の翼をからめ捕るので、天使はもはやそれらに近づくことができない。この暴風は、背中の向いている未来へと彼と不可避的に駆り立ててゆき、その間にも、瓦礫の山は空へと伸びてゆく。この暴風こそが、われわれが進歩と呼ぶものなのだ。

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これは何のアレゴリーなのだろう。そもそもアレゴリーとは何でありえるのだろう。そしてそれを読むという行為は何でありえるのだろう。

 


2012年もお世話になりました。来年そしてその先、僕らやそれに続く人たちの時代をよい方に向けられますように。